はじめに
  このところコロナウイルスのパンデミック(全世界的)な流行が世の中を騒然とさせている。なんと理不尽な、と思っている方もいらっしゃるかもしれない。しかし疫病は太古の昔から連綿と私たちを苦しめてきた。だから私たちは、疫病から生き残れたそれこそ幸運な先祖の子孫であることをまず感謝しなければならない。疫病とは、伝染病のことで、麻疹(はしか)や痘瘡(天然痘)などがよく知られているが、最近ではインフルエンザが定期的に私たちを苦しめている。
  この理不尽な伝染病の原因がわずかながらわかり始めたのが明治10年代の細菌の発見だったから、それまで果てしもなく長い間、人類は暗黒の世界といった状態でこの厄介な病気と立ち向かわねばならなかったのである。歴史上疫病のパンデミックな流行は、幕末安政5・6年の暴瀉病(コレラ)が特筆される。当時コレラで多大な犠牲があったのだが、その暗澹たる状況下でも、当時の人たちは古文書の中にその記録をしっかりと残しておいてくれた。その事実は、誰かが読まないと現代に戻せない。そこには、驚きや警戒、恐れや不安、苦痛や絶望、嘆きや悲しみ、あるいは一命を取りとめて喜びや安堵などあらゆる感情が迫ってくる。
  群馬県には、松島榮治先生という歴史学の大家がおられた(令和4年師走92歳でご逝去)。ある時、松島先生に不躾に「古文書を教えてくれる人はいませんか」とお願いしたことがあった。しばらくして、「なかなか適当な先生はいません。直に古文書を読んでみたらいかがですか」と「上原家所蔵文書目録」を持ってきてくださったのである。刮目するとはこんなことをいうのだろうか。その中から暴瀉病という病名が目の中に一直線に飛び込んできたのである。私の古文書との最初の出会いだった。
  そして今回、コロナウイルスのパンデミックな流行に出会った! 
まさか生きているうちにパンデミックな流行に出会おうとは夢にも思わなかった。それは、今まではるか遠くにあってそれこそ客観的だったものが、すぐ間近に主観的になったような強烈な印象だった。さて、一体何をなすべきだろうか、と自問した。
 思い立ったのは、古文書を通して当時の状況を知っていただきたいという思いだった。そのきっかけを与えてくれたのが、最初に出会った上原元伯の『暴瀉病ニ付』という古文書だった。不思議なことだがその後、古文書『安政記聞』の中にもコレラの記事を見つけ、「倉賀野神社」、「赤城神社」、玉村宿の『三右衛門日記』、各県の『県史』の中にも見つけることができた。疫病は、遠い昔の歴史書『続日本紀』(奈良時代) にもあった。拙いながらその出会いに目を向け、それぞれ一つずつ物語として紹介する作業を行った。このことから読者は、幕末のコレラの流行にどう対処したか具体的に知ることができるであろう。可能なところは現代語訳をつけたけれども、それだけでは原文の持つ雰囲気や緊張感 といったものが失われてしまうので、できるだけ当時の文章をそのままに読んでいただきたい。残念ながらその状況や気配は決して楽しいものではないが、コロナウイルス(COVID- 19)が跋扈している今ならば当時の状況を正しく理解していただけるのではないかと考えている。場合によっては、当時の息遣いまで漂ってくるかもしれない。あるいはコロナ禍に対処する際の参考になるかもしれない。私の拙い古文書の旅にお付き合い願いたい。
 と、この試みを一昨年『古文書から見た幕末のコレラーコロナ禍に遭遇して』(みやま文庫 群馬県)と題して上梓したが、そこでは文久2年のコレラのコレラ騒動を取り扱わなかたなど、いささか不十分な点もあったことを認めなければならない。さらに拙著はもっぱら群馬県内の読者を対象としたため、より多くの読者の批判を仰ぎたいため、今回前著の増補拡大版として、ブログという場をお借りして世に問うてみたいと思ったことをご了承いただきたい。
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図 『古文書から見た幕末のコレラ』(みやま文庫 群馬県)2021

確認済 令和6年8月22日