群馬県に残された風説留(古文書から)
服部 瑛(はっとり あきら)
服部 瑛(はっとり あきら)
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◎最新情報です。
03/09 「続紀聞 2 (前編)」>赤堀家文書
02/16 「飛騨・金沢・琵琶湖の雪景色の饗宴」>足跡
02/09 「続紀聞1」>赤堀家文書
01/31 「幕末を憶う長州路」>足跡
01/15 「遠州・三河への旅」>足跡
1/1'25 「会津藩の悲劇」>医師会報など>孝明天皇の死
12/31 「明治記聞 36 (後編)」>赤堀家文書
12/19 「『中山忠能日記』と孝明天皇の死」>医師会報など > 孝明天皇の死
12/12 「松本順はコレラの感染説を否定していた」>幕末のコレラ > 幕末コレラの補足
12/10 「明治記聞 36(前編)」>赤堀家文書
12/02 「将軍家茂は死の直前侍医松本順に同衾させた」>慶応記聞 33 (後編)
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はじめに
過去の時代の古い文書を古文書と言い、御存じのようにその多くはくずし文字で書かれています。あのクネクネとしたくずし文字を読めたらいいなと思って勉強を始めたのが10年以上前のことでした。そんな中、『赤堀家文書』に出会ったのです。『赤堀家文書』は群馬県佐位郡今井村(現群馬県伊勢崎市赤堀町今井)の赤堀家に残されていた20,000点を超えるという膨大な文書群で、群馬県立文書館に寄託され、現在同所に収蔵されているものです。
この膨大な文書群の中で特筆されるのは、江戸時代の風説留(幕末維新期の情報記録集)が系統的に残されていることです。その風説留の著者は、赤堀伴七(ばんしち 浩平)翁という庄屋さんだった方です。伴七翁は、享和元年(1801)生まれ、明治22年(1889)没なので、88歳まで長命を保った人物です。多難な幕末期を生き抜いた伴七翁は、天保3年から明治18年(1885)までの半世紀に及ぶ大量の当時の記録を精力的に残してくれました。それらは、『天保弘化年間記聞』(2冊)から始まって、『外夷来艦誌』(11冊)、『安政記聞(5冊)、『文久記聞』(3冊)、『元治記聞』(9冊)、『慶応記聞』(13冊)、『明治記聞』(1冊)、『紀聞』(9冊)などです。残念なことにその一部は欠落しているのですが、読んでみると当時の息遣いが仄かに漂ってくるのです。この赤堀家の風説留を読みながら、それまで客観的だった幕末の歴史が、いかにも今起きているような錯覚を覚えて楽しくなってきました。そこで、この楽しい世界を独り占めにしないで、多くの人にも知ってもらいたいと思い、ブログ開設を思い立ちました。嬉しいことにブログに手慣れている写真家の杵淵辰巳さんが手を差し伸べてくれました。

図 『文久記聞 九』の記事
編者赤堀伴七翁は壮大な幕末史を語ってくれている。

図 『文久記聞 九』の記事
編者赤堀伴七翁は壮大な幕末史を語ってくれている。
とりあえず風説留『天保弘化記聞』からと、その風説留から派生した『幕末のコレラ』を同時に紹介していくことから話題を始めたいと思っています。この古文書の翻刻に関しては、大庭邦彦先生(聖徳大学教授)、村野守市さん(古文書講座「古文書に見る幕末社会」会員 毎日文化センター)にチェックしていただきました。もちろん、お二人とも古文書解読の達人です。
よろしくお願い致します(ブログ開始日 2023年3月21日)。「足跡」
このブログの眼目は、「幕末のコレラ」と「赤堀家の風説留」を後世に残すことだと思っています。歴史上では意外にも影が薄い幕末のコレラを古文書から調べて一文にしてみました。そのコレラから、赤堀家の風説留が現れて、読み込むほどにこの記録集は貴重だと知るに至りました。その他のカテゴリーはおまけです。よろしく。(7/10'24)
その後、縁あって秋山洞禅老師の「座禅のお話」を「特別招待席」にお座(すわ)りいただきました。有意義なお話です。(7/29'24)
この機会にお世話になっている写真家杵淵さんの作品を紹介しておきましょう。

写真は記録である・・・
今日(こんにち)、群馬県内の桑のある風景は、殆どその姿を消してしまった。
それは生糸需要の衰退した今となっては、仕方がないことだろう。
そんなことで子供の頃から慣れ親しんできた桑の風景を、この時期を逃したら
2度と撮ることができなくなる、という危機感に迫られ平成16年(2004)
冬から春にかけて、ある丘陵地帯で撮影を続けた。
2020年6月 杵淵辰巳
古文書とて同じことで、火事などで紛失すればその情報が全く無に帰してしまうのです。たとえ紛失しなくとも、文書館に埋もれてしまっていても同じことなのです。
そんな中、田舎である群馬の地にも、赤堀伴七や医師上原元伯という傑出した人物が存在していたという事実は私にとって感動的な出会いでした。これはぜひなんらかの形で顕彰しなければなりません。そんなキッカケなのですが、驚くことに古文書を通して、すでに無くなったと思われた幕末の情報が躍動しながら浮き出て来たのです。このブログを通して、激動の幕末をあなたも体験してみませんか。
古文書の掲載に関して、赤堀家と群馬県立文書館※の御厚意に感謝します。
なお、杵淵氏は、最近群馬県の巨樹すべてを歩き訪ねてブログに投稿を始めました。群馬県全域に渡って一本一本丹念に調べた精魂のこもった作品で、巨木に関心のある方には一見の価値があります。
※ 群馬県立文書館
※ 本ブログの歴史(これは著者の備忘録である)
このブログの眼目は、「幕末のコレラ」と「赤堀家の風説留」を後世に残すことだと思っています。歴史上では意外にも影が薄い幕末のコレラを古文書から調べて一文にしてみました。そのコレラから、赤堀家の風説留が現れて、読み込むほどにこの記録集は貴重だと知るに至りました。その他のカテゴリーはおまけです。よろしく。(7/10'24)
その後、縁あって秋山洞禅老師の「座禅のお話」を「特別招待席」にお座(すわ)りいただきました。有意義なお話です。(7/29'24)
この機会にお世話になっている写真家杵淵さんの作品を紹介しておきましょう。

写真は記録である・・・
今日(こんにち)、群馬県内の桑のある風景は、殆どその姿を消してしまった。
それは生糸需要の衰退した今となっては、仕方がないことだろう。
そんなことで子供の頃から慣れ親しんできた桑の風景を、この時期を逃したら
2度と撮ることができなくなる、という危機感に迫られ平成16年(2004)
冬から春にかけて、ある丘陵地帯で撮影を続けた。
2020年6月 杵淵辰巳
古文書とて同じことで、火事などで紛失すればその情報が全く無に帰してしまうのです。たとえ紛失しなくとも、文書館に埋もれてしまっていても同じことなのです。
そんな中、田舎である群馬の地にも、赤堀伴七や医師上原元伯という傑出した人物が存在していたという事実は私にとって感動的な出会いでした。これはぜひなんらかの形で顕彰しなければなりません。そんなキッカケなのですが、驚くことに古文書を通して、すでに無くなったと思われた幕末の情報が躍動しながら浮き出て来たのです。このブログを通して、激動の幕末をあなたも体験してみませんか。
古文書の掲載に関して、赤堀家と群馬県立文書館※の御厚意に感謝します。
なお、杵淵氏は、最近群馬県の巨樹すべてを歩き訪ねてブログに投稿を始めました。群馬県全域に渡って一本一本丹念に調べた精魂のこもった作品で、巨木に関心のある方には一見の価値があります。
※ 群馬県立文書館
文書館とは史料(主に江戸時代からの古文書など)が保存され閲覧利用できる施設です。群馬県は全国的にも規模が大きい施設だと聞きました。JR前橋駅の南口から徒歩25分(約2km)くらいのところにあります。駐車スペースは広くとってあります。玄関を入って右手に受付がありますから声をかけて下さい。閲覧室は2階にあります。所定の用紙に記入しますと史料を捜してくれます。その史料をコピー(立派なコピー器があります)あるいは写真撮影することができますが、やはり所定の用紙に記入しなければなりません。煩雑な作業かもしれませんが、大切な史料を扱うので仕方ありません。今まで沢山利用してきましたが、皆さん礼儀正しくやさしく対応してくれました。お気軽に利用して下さい。
なお館内には展示室があり(玄関から入って1階左側)定期的に史料の展示を行っています。
次回の展示は下記です。
テーマ展示 史料で見る上州の冠婚葬祭(8月1日~令和7年2月2日)
もちろん無料です。
住所 371-0801 群馬県前橋市文京町3-27-26
TEL 027-221-2346 FAX 027-221-1628
E-mail monjyo@pref.gunma.lg.jp
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日、国民の祝日、月末整理日、特別整理期間
なお館内には展示室があり(玄関から入って1階左側)定期的に史料の展示を行っています。
次回の展示は下記です。
テーマ展示 史料で見る上州の冠婚葬祭(8月1日~令和7年2月2日)
もちろん無料です。
住所 371-0801 群馬県前橋市文京町3-27-26
TEL 027-221-2346 FAX 027-221-1628
E-mail monjyo@pref.gunma.lg.jp
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日、国民の祝日、月末整理日、特別整理期間
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11/30 「伊藤玄朴が辞めさせられた理由」>幕末のコレラ > 文久2年のコレラ
11/28 『武将 荒木村重と竹本弘子さん』>足跡
11/17 『特攻隊と静登喜子さん』>足跡
11/13 『孝明天皇と松平容保』>医師会報など > 孝明天皇の死
11/08 『念願の高野山』>足跡
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本稿を書くにあたって下記のことに留意しました。
1)翻刻文は 実際に古文書を読んでいただきたいという理由から、史料の引用にあたっては、旧漢字 及 び異体字は原則として新字体にしました(例 國→国)。またカタカナはひらがなに変換し、さらに「ニ而」→にて、「ゟ」→より、「之」→の、「江」→へ、「茂」→も、「与」→と、「而」→て、「者」→は ば、而已→のみ、と改めました。古文書を理解しやすいように、区切れると思われるところには句読点を打ち、難字に関しては例えば、「厥冷(けつれい)」といったように適宜、振り仮名をあるいは意味を補いました。さらに、「本草綱目沙虫集解」と区切りがはっきりしないところは1マス開けて、「本草綱目 沙虫集解」としました。さらに、「へき」→べき、然者→「しからば」、候得者→「候得ば」とあえて濁点を付けたところもあります。
2) 古文書の写真は、写真家 杵淵辰巳さんが撮影して下さり、見やすくなるようにフォトショップで修正したものです。
3) 古文書の翻刻は、正確を期すことはもちろんなのですが、素人の私には荷が重い作業になっています。当然のことながら、すべてが正しいとは思っていませんのでその点はご了承ください。それを補うために古文書の原文すべてを写真撮影して添付しておきましたので、おかしい部分は原文を参照してください。私の目的は赤堀家の風説留を紹介することなのです。くれぐれもよろしくご配慮ください。
(不明な部分はだいだい色でマークしました。)
順次修正しながら翻刻の作業を進めて行きます。なお、翻刻文には当然のことながら間違いが見つけられますが、少なくとも3回は読み直して、その間違いをチェックします。さらに、古文書解読の大家 大庭邦彦先生のご添削も併せてお願いしています。よろしくお願いいたします。
略歴
服部 瑛(はっとりあきら)
昭和22年5月29日生まれ
昭和41年 新潟県立新津高等学校卒業
昭和49年 群馬大学医学部卒業
2) 古文書の写真は、写真家 杵淵辰巳さんが撮影して下さり、見やすくなるようにフォトショップで修正したものです。
3) 古文書の翻刻は、正確を期すことはもちろんなのですが、素人の私には荷が重い作業になっています。当然のことながら、すべてが正しいとは思っていませんのでその点はご了承ください。それを補うために古文書の原文すべてを写真撮影して添付しておきましたので、おかしい部分は原文を参照してください。私の目的は赤堀家の風説留を紹介することなのです。くれぐれもよろしくご配慮ください。
(不明な部分はだいだい色でマークしました。)
順次修正しながら翻刻の作業を進めて行きます。なお、翻刻文には当然のことながら間違いが見つけられますが、少なくとも3回は読み直して、その間違いをチェックします。さらに、古文書解読の大家 大庭邦彦先生のご添削も併せてお願いしています。よろしくお願いいたします。
略歴
服部 瑛(はっとりあきら)
昭和22年5月29日生まれ
昭和41年 新潟県立新津高等学校卒業
昭和49年 群馬大学医学部卒業
昭和53年 群馬大学医学部大学院卒業(医学博士取得)
同年 群馬大学皮膚科講師
昭和55年 前橋赤十字病院皮膚科部長
昭和63年 医療法人はっとり皮膚科医院理事長
平成16年 日本臨床皮膚科医会常任理事
平成17年 日本臨床皮膚科医会学会会頭
平成27年 奈良大学通信教育学部文学部入学、4年後卒業論文(続日本紀と疫)を
書き上げて自主退学
令和5年 日本臨床皮膚科医会特別会員
平成27年 奈良大学通信教育学部文学部入学、4年後卒業論文(続日本紀と疫)を
書き上げて自主退学
令和5年 日本臨床皮膚科医会特別会員
点検 2024年8月22日
2025年1月4日